チベット

チベット暦2146年

地球上の多くの地域では、西暦と呼ばれる暦法が使われている。これは、地球が太陽の周りを一周公転する周期を1年とする暦法で太陽暦と分類されるものである。

現在において地球の暦法の主流は太陽暦であるが、歴史的には太陰暦と呼ばれる別な暦法が地球上各地で使われてきた。これは、地球を周る月と呼ばれる大きな衛星の満ち欠けを基に定められたもので、古代の人類にとって地球が太陽の周りを回る周期よりも直感的に理解しやすいものだったと推測される。太陰暦は、やがて太陽の運行(実際には地球の運行)も加味された太陰太陽暦と進化した。

太陽暦全盛の現在においても、太陰太陽暦を使用している国や地域が地球上には多数存在している。その中でも面積的にも人口的にも大規模なものは中国であるが、今回のレポートでは他の地域に焦点をあてることにしよう。厳密には他の地域ではないが。

チベットと呼ばれる国家が地球上にかって存在していた。現在は先に述べた中国の占領下にあり、中国の領土の一部を構成している。このチベットもまた太陰太陽暦に分類されるチベット暦と言う独自の暦をもっている。今日西暦2019年2月5日は、チベット暦2146年の元旦にあたる。チベットでは新年をLosarと呼び、新年おめでとうをLosar Tashi Delekという。

チベット人たちにとって、今年2146年は大きな区切りの年となる。先に述べたように今現在地球上にチベットという国家はない。それは隣接する中国に侵略されたためだ。今から60年前、チベット暦2086年にチベットの国家元首であるダライ・ラマは10万人のチベット人とともに亡命を余儀なくされた。すなわちチベットという国が失われて今年が60年目ということになる。

この60年という区切りが大きな意味を持つことは、今から30年前を振り返るとよくわかる。30年前のチベットでは、国家元首であるダライ・ラマに次いで民衆から多くの信望を集めていた高僧パンチェン・ラマが中国政府によって謀殺される事件が起きている。その二か月後には、後に中国の最高指導者になる胡錦濤がチベットで戒厳令を発令し、その戒厳令下で、多くのチベット人が命を奪われたり、投獄されたりしている。国が奪われて30年目の区切りの年、チベットでは悪い意味で大きな事件が相次いだわけだ。そして60年目の今年は、30年目から30年目の年でもあるわけだ。

地球上では一般に数字は10進法と呼ばれる10単位で桁が変わるシステムが使用されている。しかし時間に関わる事柄については60進法と呼ばれるシステムが使用されている。厳密には時間以外にも60進法を用いるシステムが地球各地に存在するが、それについては後日別なレポートで語ろう。60進法というのを簡単に説明すると、1時間=60分、1分=60秒と、60を区切りに単位が変わっていくことだ。これをスケールを大きくして60年を一区切りとする考え方が東アジア各地に現在にも残っている。干支と呼ばれるものだ。干支というと、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・羊・申・酉・戌・亥の12で一周期なのでは?と思うものもいるだろう。しかし、これは干支の半分だけで十二支と呼ばれるものになる。これとは別に甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸からなる十干というものがあり、十二支と十干を組み合わせたものが干支である。その周期は10と12の最小公倍数である60になる。60年で干支が一周することから、自分が生まれた年と同じ干支になる60年目を日本では還暦と呼ぶ。

チベット人たちが国を失って60年経つということは、チベット人たちの亡命生活は還暦になったということだ。この区切りの年がチベット人たちにとって30年前のような不幸な一年にならないことを心から望む。還暦の名前の通り、自分達の国、自分達の故郷に還ることができる希望へと繋がる一年になることを心から望む。

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